アリストテレスにフラれたプラトンが残した言葉。「私を蹴飛ばして行ってしまった。まるで…」
天才の日常~アリストテレス<前篇>
アテネを去り、親交の深かったヘルミアスの元へ
当時はマケドニア王国の力が高まり、アテネでも煽動政治家によってマケドニア脅威論が声高に主張されていた。マケドニア出身で王家とも縁が深い外国人であるアリストテレスは、アテネに滞在し続けるのが難しい情勢となったのだろう。 また、一説によるとプラトンの死後、アカデメイア学頭の座にプラトンの甥であるスペウシッポスが就いたことが、アカデメイアを去る理由となったとも言われている。
アカデメイアを去るアリストテレスに対して、プラトンは、
「アリストテレスは私を蹴飛ばして行ってしまった。まるで仔馬が生みの母親をそうするかのように」
という言葉を残したそうだ。 いずれにしても、アリストテレスは次第に師プラトンの「イデア論」を批判する学説へ傾いていた時期でもあったので、アカデメイアを出て自分なりの哲学を探究する決意をしたのではないだろうか。
アカデメイアを去ったアリストテレスは、エーゲ海対岸のアソスという都市に移り住んだ。この都市の独裁者ヘルミアスはアカデメイアを訪れたことがあり、アリストテレスとも親交が深かったようだ。
ヘルミアスは奴隷の身から独裁者へとのし上がった人物であった。去勢されていたものの、アリストテレスと愛人関係にあったという話もある。やがて、アリストテレスはヘルミアスの側室と恋に落ち、ヘルミアスの許可を得て結婚した。結婚がかなった時のアリストテレスは大変な喜びようだったそうだ。
だが、アソスの街がペルシアに攻められたために、アリストテレスはレスボス島へと移り住んだ。ここでは生物の研究を行い、その成果が『動物誌』などの著作にまとめられた。
エーゲ海に住む海洋生物の観察や漁民からの聞き取り調査から、クジラやイルカが魚とは違って空気を吸っており、卵を産まずに妊娠して子供を産んで、授乳しながら育児を行い、寿命は30年ほどであるとする先進的な研究も行っている。